新井紀子/ Noriko Arai
@noricoco
Oct 7, 2021
 
様々なところで、国語の先生から「現代文は(読めばわかるので)教えることがない」とか「評論は論理にある程度の飛躍がないと問いを立てにくい」というご意見を聞き、驚きます。
数学や理科の教科書はギャップなく、「(式まじり)日本語」で書かれています。が、正確に読めない人は多いです。
 
その理由を「数学(や理科)が嫌いだから」で終わってしまっては思考停止でしょう。
数学や理科のギャップのない教科書に書かれている日本語がなぜ読めないのかは「国語」にとって未開拓の領域で研究する価値があると思います。
 
数学や理科が中高校生時代に苦手だった、という経験のある先生は、むしろこの研究に向いていると思います。実際、中高の理数の教科書に改めて「国語」として向き合って、なぜ自分はこれを読めなかったのだろう、と問いを立てるところから始めてみてはいかがでしょう。
私自身はそうしました。
 
リーディングスキルテストは、私が数学者だから作れたのではなく、私にとって中高で一番苦手な科目が数学で、その数学の文章に向き合った結果生まれた汎用的基礎読解力の診断テストなのだと思っています。
 
というようなことを、大修館さんからご恵贈いただいた「国語教育は文学をどう扱ってきたのか」を読みながらつらつら考えました。
 
高校の「現代の国語」の題材は「国語以外のすべての教科書、ただし文理半々ずつ」と指定しても良いのではないか、とすら思っています。英語は「言語の違い」の題材になるし、数学は「命題と論理」を題材に量化子の入れ子や否定の使い方をアリストテレス的に教えてもいいし。
 
「国語教育は文学をどう扱ってきたのか」(幸田国広著)にはRSTに言及した箇所(「RSTの衝撃」)があります。一部ご紹介。
「これまでの読解力は、文章の大意や要旨の把握、あるいは文脈や行間の解釈を経た主題把握に向かっていた。つまり、作品や文章全体を対象とした「正しい理解」である。(続く)
 
一方、RSTは、文章を構成する文や細部の理解の「正しさ」だ。こうしたことは、これまでの読解指導ではある意味で当たり前のように思われ、文法学習を除いては丁寧に扱ってこなかった。RSTは従来の読解指導の虚を突く形で、読解における細密化の焦点を照らし出した。(以上引用。)
 
「虚を突かれた」と国語教育界が受けとめてくれたのであれば「重い扉」が開く可能性があるということでしょう。問題提起をした甲斐があったと思いました。
 
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